金曜日に15年前から友達のダイアーに誘われてライブを見に行くことになったのだが、会場が見つからず、夜のサンフランシスコの郊外を車で探し回った。郊外の家はどこも灯がともっていて、中をのぞくと生活感があふれていて、とてもきれいな風景であった。おれのように都市部のど真ん中の三人部屋の安アパートとは、環境も中身も違うのだった。豊かである。自然も近くにある。その後、結局ライブはあきらめて、夜のハイト・ストリートをブラブラして最近はホームレスのヒッピーが減ったとか言っていたら、昼間とは違って、多少、若いヒッピーのホームレスがいたのであった。で、十時になるとカフェはどこもしまって、酒場だけが開いていた。酒場は音楽と人の声でうるさいので二人とも避けて、どうしようかなという段になって、ダイアーがあるダイナーに連れて行ってくれた。ダイナーというのは、昔ながらのアメリカの食堂と解釈されたい。
で、そこに行くと六十周年と書いてあって、50年代からやっているところだった。机、一つ、一つの小さなジューク・ボックスがあって、レイ・チャールズとかバディ・ホリーとかの曲が並んでいる。店全体が50年代にできていて、厨房に少しばかり、コンピュータらしきものがあるだけだった。
先月だったか、「アックス」の編集者A君が、ビートルズ関係のブート音源をMP3にして、CDR6枚も送ってくれた。
今週は詩の朗読会がなかったので、土日はジャパンタウンに飯を食いに行ったぐらいで、何もしていない。一つあったのはフィルモア・ストリートに、なんだか個性的な書店があって、そこに入ってみたらいきなりラングストン・ヒューズの全集が一番いいところに置いてあったのである。中に二つのソファ・スペースがあって、どうも黒人のインテリたちの集まって話をしている。で、すごくぼくにやさしいのである。もう少し英会話が達者になったら、ソファの輪の中に入れてもらっておしゃべりをしたいななどと思って帰ってきた。そういえば児童用の本としてマーティン・ルーサー・キングの本とマルコムXの本が安かったので二冊買ってきた。これから読む予定である。
ほかに何があったかというと、ルーメイトのカミールというトルコ人が土曜日になって引っ越すと言って日曜日に引っ越していったのである。けっこう、いいやつだった。みんなに好かれる人気者の一人だった。カミールは旅に出る予定で、一週間前にチェックアウトの予定だったが、ここの暮らしが気に入ってきたらしく、旅には出なかった。それで引っ越しが遅れているというフロントの通知をずっと無視してきたのだが、一週間延ばして、結局、折り合いがつかず引っ越すことにしたようである。土曜日はどこに引っ越すかを必死でロビーのパソコンを使って探していた。
夏の女月は 全裸で誘う
抱きたい
あの銀紫に輝く 月を感じたい
照らされて 形をくねらせ 通り過ぎる男雲達
日曜日にノースビーチのシティ・ライツ・ブックスにまた詩の朗読を聞きに行ってきた。LOBER FESTという労働者のお祭りのイベントの一つで、読まれた詩もストライキ、組合、ピケなど労働者のサイドに立ったものばかりだった。印象に残ったのはウェイトレスの詩を読んだおばあさんで、深夜、2時、3時に一円のチップを求めて働いた詩だった。一円というのは日本で暮らしていても道に落ちていても拾う人がいないという感覚があるが、こちらでも一緒でペニーというのだが、多少あってもホームレスの人にあげるのが少しためらわれる金額である。だが、その詩人のおばあさんの時代は50年前ぐらいだろうけれど、価値があったのだな、などと思った。
また、朗読会はシティ・ライツ・ブックスという書店の二階で行われていて、窓から外を見ると下着をロープで干してあるのが見えて、なかなか風情のある光景が見れた。
で、朗読会が終わって、少し居残っていたら日本人のおばさんに話しかけられた。三十年こちらに住んでいるひとで、この労働者のお祭りのオルガナイザーの一人だった。最近は東京でも十二月にやっているのだそうだ。だが、一日だけだと言っていた。こっちのお祭りは一ヶ月にわたっていろいろなイベントが予定されている。
数日前持病の腎臓結石、正確には尿道結石なのかな?が発病し朝から病院に直行したのだけれど、幸い大事にいたらず午後2時頃には帰宅。
それで思い出したのだが、最初にこの病気になったのは19才の時で、かなりひどく約1ヶ月の入院を余儀なくされたのだが、手術をしたわけでもないのになぜに長期入院か?これが実は『痛い』という理由だからなのである。
痛いという理由が主で入院するのであるから、確かに非常に痛いのだ。
ニュース番組を見ていたら、十一月の選挙でカリフォルニア州では、大麻を合法化するかどうかというニュースをやっていて、少し調べると選挙にあたいするだけの署名はすでに集まっていて、選挙されるのは確実のようだ。で、その中で面白いのは、大麻の売買を許可するかどうかというところで、もし、合法化されて売買も許すようになれば、高い税金をかけて財政の苦しい州政府に貢献するということになる、という主張がある部分である。このままいって合法化されると大麻ビジネスも可能になる可能性があって、大麻長者が生まれる可能性があることである。
医療用の大麻はすでにカリフォルニアでは合法で、あるフリーペーパーの最後のページの広告は医療用大麻の広告であふれている。すでにかなりのビジネスになっているわけである。ただ、国の法律から言うと、大麻の合法化は医療用ですら、非合法で、国と州政府の対立というのは、まだあるのだそうです。
中学時代から現代詩が好きで、けっこう多読した時期があった。昨日、金曜日は、詩とロックのイベントが近くであるみたいなので、行ってみた。COUNTER-PULSEというところで、直訳すると「対抗文化の血脈」という名前の場所であった。けっこうこの名前がすごいと思ったりした。無料と書いてあったのも魅力だったが、実際は5ドルの寄付をしなくてはならなかった。最初は、それなりの詩人の朗読があって、それから、バンドと一緒になって詩の朗読をするというスタイルの人たちがでてきて、けっこう面白かった。日本でもあるけれど、こちらの音楽水準はけっこう高いのと、詩の内容がけっこう面白かったので、気に入ったのである。まだ、50パーセントぐらいしか聞き取れないのだが、カウンターカルチャーのヒーローたちの名前がたくさん並ぶ詩で、親しみやすかったのである。
パフォーマーは30代から40代とここまでは若かった。ただ、聴衆が違うのだ。とにかく年寄りが多い。70代、80代の人まではいなかったと思うのだが、70代半ばぐらいの人が多い。若者が少ない。でも、半分は20代、30代、40代というところだけれど、半分は70代。うーんと、考えて、ヒッピーにしては、少し年が上なのである。はっきり言ってビート世代の若いあたりなのかなあ、などと思ったりしていた。
僕の友人の一人は坊さんです。なぜかと言うと、和歌山県高野山の標高800m地点にある大学を卒業したからです。その名も、まんま高野山大学。全学生の2割は実家がお寺ですが、希望者は誰でも100日間修行すれば僧侶の資格を得られます。友人は一般企業に就職する気がないのと、柳のような人生を歩みたい、との希望で坊さんになりました。でもしか坊主です。
週末の土日にプライド・パレードと名前を変えたゲイ・パレードがあった。パレードは見なかったが、メインの会場が歩いて、数分というところに住んでいるので、ノコノコと出かけていった。土曜日は、とにかく飯屋と服屋の出店が多いなあという感じで、医療用マリファナの団体のブースがけっこうまともな感じだった。で、まあ、こんなものかと思って帰って来たのだが、日曜日は、ローカル・アーティストではなく全米もしくは全世界的に知られているバンドや人が出演するので、ものすごい人出だった。
ぼくは、バックストリートボーイズが出演するというので、それを目当てに行ったのだが、それはぼくだけてはなかった。バックストリートボーイズの出演時間にさらにものすごい人がメインステージに集まってきたのである。で、メインステージなのだが、四十周年記念というぐらい歴史のあるイベントなので、無料で、寄付だけのイベントなのだが、規模が違うんですね。
月刊「サーフィン・ワールド」にミステリー本の書評を書くようになった。いままで勤め先の業務以外で原稿を書くことはたびたびあったのだが、署名入りは初めてであるからして、うれしいものだ。しかしうっかり本名で編集部に原稿送ってしまったら、そのまま本名のまま載ってしまった。会社にばれたらマズイかもー。おれが勤める会社はアルバイトが禁止されているのだ。
ノースビーチ・フェスティバルだが、いろんな屋台みたなのが出ていて、はらっぱ祭りをストリートでやや大きくやっているという感じのお祭りだった。バンドの演奏があちこちであったり。ぼくのお目当てはポエトリー・リーディングで、詩の朗読を主に聞きに行ったわけだが、こちらに来て、まだ一月たたないので、ほとんど聞き取れなかった。聞き取れる詩もあるにはあったが。
土曜日、日曜日と二日間にわたって行われて、土曜日は正式な詩の朗読のイベント。客層も詩を聞きに来た人ばかりで、詩人もサンフランシスコでは名高い人らしい詩人たちが登場した。大御所のゲイリー・スナイダーとか、マイケル・マクルーア、クラスの詩人は登場はしなかったが、その下の世代、ぼくにとつてはおじさんクラスの詩人たちが朗読していた。おじいさんクラスの大御所はどこにもいなかった。
夏休みです
お気楽女子大生は女子大生でもなくなってしまいます。
脳みその機能が一年でもっとも低下する時期、、、
春休みもかなりキてたけどやはり暑さが一番脳みそを腐敗へと導くのです。
腐敗をなんとか回避し、人生を有効に活用すべくプチ断食でも致しましょう。
どろりと。
何処かの大学で乗馬部の隣で乗牛部をひっそりと運営しませんか?
こちらの時間で明日は、ワールドカップの日本対オランダ戦が、朝の七時半からあって、こちらの時間で土曜日なので、早起きして見てみようかなどと思っている。ビート発祥の地でもあるノースビーチフェスティバルというのも、この土日にある。いろいろイベントが盛りだくさんでいいのだが、やることは山積みになっている。時間が足りないのは日本にいたときもそうだったが、こっちに来ても一緒である。まあ、八時間はしっかり寝ているけれど。困ったのはイスで、学校のイスも三人部屋の安アパートのイスも硬い。で、それならとコーヒー屋に行ったりするのだが、一応クッションはついたイスながらやはり硬い。おれは慢性の腰痛持ちなので、この硬いイスというのが困った問題なのである。一応、安アパートの方には、クッション二枚とドーナツクッション一枚という三枚重ねにしている。
その昔ゾンビづいた時期がありました。レンタルビデオ屋にあるゾンビ系ホラー映画はすべて借りて見たくらいです。どの作品でも登場人物は手足が外れ、内臓べったら漬け。極端な恐怖演出が、刺激を求める中学生の僕をトリコにしました。ホラーと言えばゾンビでしょ、みたいな時代で『バタリアン』『ゾンバイオ(死霊のしたたり)』あたりは超名作です。
サンフランシスコの面白い情報でも書きたいところだが、学校と安下宿の往復なのでほとんどネタがない。先日、R.U.シリアスがモンド2000をどういう形で作っていったかというお話の集まりがあって、見に行った。久しぶりのシリアスは髪をやや短く切っていって、髪が短くなったな、などと言ったら、年に何回かは切って短くするのだと言っていた。おれもそうなので、おれもそうだなどと多少の会話をした。
で、モンド2000の成り立ちのついては、一度インタビューして本にまとめたので、あまり新鮮なネタはないが、シリアスの次にでてきたスピーカーのアーティストのおばさんがいて、このおばさんはバーコードを勝手に作って、イケアのショップに適当に描いてプリントした絵を、勝手に陳列棚にならべて、それから、その一つをカートに入れて買って帰って来たという。写真付きで説明してくれた。買えたと言って、うけていた。その作品のバーコードは、そのアーティストのおばさんが勝手に作ったものである。きちんとレジを通ったというのだから、おかしい。そのほか、数作品をイケアのショップに陳列して帰ってきたそうだが、なんと、数日後には全部売り切れていたという。サンフランシスコのアーティストらしい人であった。この人は、勝手にギャラリーに入っていって、ディスプレイされている作品の横に自分の作品を勝手に置いて帰って来たりもしている。一種のゲリラ・アートという感じの世界である。
無善寺ライブ無事終了。
ここのマスターはノイズギターを弾きながら偏執症歌を歌う。
「愛国の歌」「鍵おばさん」は名曲だ。
今回は自称精神病という若い女の子がダンサー&コーラスで参加していた。ドアノブをまさぐるダンスが影絵のように動いて良かった。
マスターいつもはフンドシでのライブだったのに、昨日はお札一枚だよ!(無善寺オリジナルステッカー)。ちんぽにお札貼って登場だよ。それも剥がしたし!!
剥がしたのを男は罰があたるとか言って、オネエチャンに貼らせてたし!
非常に完成されてきていた。
ノイズバンドが2組出てたけど、全く今僕は興味がない。
中間での敬敬さんの生ギターの音と歌に救われた。敬敬さんはフォークシンガー役で映画撮影中だそうだ。
自分は寛さんの前にやったのだけど、待ってる間に体力消耗ぎみだったけどなんとか無事終了。時間が無かったので、弾き語りバージョンの「月島」は、次回アピアで初披露することにした。
寛さんは、やはり別格。繊細なギターと対照的なボーカルの妙。
フランスでレコーディングしてアメリカで販売しているレコードを買った。
「西荻の月」というCDじゃなくて本物のレコード。
祝還暦企画だね。サインして貰ってから1時間くらい話を聞いて帰ろうと思ったら、電車間に合わなくなってネカフェへ入ったけど狭くて撤収、ビジネスホテルへ。
あ〜〜濃い1日だった。
いやー。仕事中にボケっと書いた文章が意外と読まれてるんで驚きました。こんなんでエエノンカイと思いました。で、私は文章を書くときにこんなことに気ぃ遣ってますってのを紹介してみようと思います。
トルコ人二人と同居する三人暮らしだったのだが、一人出ていった。その時の荷物をちらりと見るとWhat is Capitalism(資本主義とは何か)という本があって、資本主義に疑問を投げかける内容の本を持っているのだった。面白いと思って、当人がいない間に持っているいろいろな本を見ると、やはりアンチ資本主義という本ばかりだった。トルコというと、イスラム圏なわけで、アメリカを中心とする今の日本から見る世界とは違った世界をはっきり見ているやつだった。そんなら、もう少し話がはずんだのになぁと残念だった。もう一人のトルコ人はビジネスマンである。それで引っ越すやつが言った言葉が面白かった。おれとあいつが話をしたところを見たことがあるか、おれはあいつとは違う、話はしないのだとぼくに言っていた。ぼくとは話はしていたが。
けっこう面白いやつだったのだなと思って、少しわびしかった。ただ、部屋は三人部屋に二人となって、スペースができて、快適である。今まで二段ベッドの上に寝ていたのだが、上のベッドに登る階段はガタが来ていて危ないし、なおかつ階段というよりもパイプイスのパイプのようなのが段として作れているので、上り下りするたびに足が痛む。
スワッピングじいさんと高根君と僕と、3人で帰り間際のことでした。
白夜書房の子会社でスワッピングの本を出していた会社があったらしい。スワッピングじいさんは、その子会社の女社長と知り合いだった。スワッピングじいさんは、渋谷で輸入熱帯魚を15年くらい売っていて、相当儲けて専門雑誌にバンバン広告を入れた。それがきっかけで、スワッピング雑誌の編集をやらせて貰っていたのだ。

